今から12年ほど前のことである。
その「伝説」は、私がまだ高校生の頃、何の前触れもなく突然にして誕生した。そして、私がその伝説と出逢い、独立、そして「最善」の世界という、遥かなる高き志を抱くのは、それからさらに2年ほど経った、ある夏のことである。
このブログを、私が私見を述べるきっかけを作った、その「伝説」の男に捧ぐー
丸の外ミヤノ プロフィール
こんにちは。丸の外ミヤノです。
皆さんは、丸の内男子という言葉を聞いたことがあるだろうか。
日本、いや世界を代表する経済都市、東京。その中央、東京駅から徒歩0秒、皇居の真ん前に広がるビジネス街が、日本を代表する財閥、三菱グループの本拠地、総本山ともいえる丸の内だ。
丸の内男子とは、つまりはそこ丸の内で働くエリートな?ビジネスマンのことを言うらしいのだが、私もあと1ヶ月ほどは、そこで働いているー
1995年 千葉県船橋市に生まれる。
小さい頃に両親が離婚し、母親のもとで育てられた私は、幼い頃からやや協調性に欠けていた。いや、協調性に欠けると言うよりは、独創性が強かったんだろう。ちゃんと友達もいたし。何事も捉えようだ。
いつも心ここに在らずといった風で、あまり友達の家に行って遊んだりということはなく、一人で遊んだり少人数で外で遊んだりするのが好きだった。
任天堂がDSを発売し、ソニーがPSPを発売し、世の小中学生がゲームに夢中になっていた頃。そんな少し変わり者の私は、学校の校庭で綺麗な石を見つけたことをきっかけに、珍しい石を探すという、生まれて初めての趣味を獲得する。
実家はあまり金がなさそうだったので、長男の私は公立一本、できる限り親に負担をかけないようにと進路を考えた。中学の時は特に勉強に力を入れていたというわけではないが、常に学年首位の成績だったため、家からチャリで飛ばせば7分という好立地の進学校に難なく合格した。
2014年 東京海洋大学に入学する。
高校は地元のトップ校だったが、何と言えばいいのか、同じような学力レベルの人間が集まっている環境は私にとってはとても退屈だった。落語とか謎掛けとか、そういった類の高尚な笑いより、くだらない一発ギャグや下ネタの方が笑えて面白いと思うタイプなのだが、どうも前者好みの人口が多いようである。
卒業生の多くは千葉大や早慶など近場の上位校に進学しているようであったが、そういった大学に行ってもどうせ今の高校と同じような環境なのでは?と思うとゲンナリした。
今後の人生に希望を見いだせなくなった私は、高2の夏に心機一転、自分探しの意味合いも込めて東北大学のオープンキャンパスを見に行くため旅に出た。各駅停車を乗り継いでゆらりゆらり気の向くまま仙台まで行き、初めて一人でこんなに遠くまできたんだという感慨に浸った。
肝心のオープンキャンパスは1日で飽きてしまい、仕方なくさらに北を目指し、岩手県西和賀町の和賀仙人鉱山跡まで行くことにした。
各駅を乗り継いで北上駅に着く。人生で初めて気動車のキハ110系に乗り、雄大な北上川右岸の田園地帯の景色を楽しんだ。季節は夏で田んぼの緑が眩しく、水路の澄んだ流れがキラキラ光って見えたのは今でも忘れられない。旅をする喜びがこの時から私を動かし始めた。
地元に帰った後も、進路についての悩みは消えず、何となく東北大学を第一志望としたまま高3の10月になってしまった。友人のT君と関東の大学リストのようなものを見ていて、ふと東京海洋大学の文字が目にとまる。当時さかなクンが男性であることも知らなかった私は、国立という文字と、「海」という冒険心をくすぐるワードにピンときて、その日のうちに第一志望を東京海洋大学とした。海洋大に行き外航船員となれば、働きながら世界中を旅できる。そう考えたのだ。
今でも思う。あの時はありがとう、T君。
2018年 日本郵船株式会社に入社する。
海洋大は私にとって落ち着ける安住の地であった。
都心から程近いのに構内は人っけもまばらで非常に静か。ドラマの撮影でもたびたび起用されるという古い石造りの校舎は、周辺に大きな木がいくつも生えていることもあってとても落ち着いた雰囲気だ。
大学時代は同学の友達や他の都内の学生たちと、飲みに行ったりサークル活動をしたり、家族から譲り受けた愛車の日産セレナC25で旅に出たりと、とても充実した日々を過ごしたように思う。
そして、4年間大学で海技(海の技というのもなかなかカッコいい)を体得し、東京丸の内の大手船社に入社し、外航船員となったのだった。
2024年 丸の外への遥かなる旅へ。
郵船での日々はまた充実していた。自動車船に乗り世界一周もしたし、アフリカや南米のような普通の人ならあまり行かないマイナーな(海外の人から見れば日本もマイナーだろ!)国にもたくさん訪れたし、出向で配属されたクルーズ会社では豪華客船にも乗船した。
しかし、その日々は非常に大きく深刻な問題を孕んでいた。
出る杭は打たれるけど、出ない杭は腐るからなあ。
私の大好きだったI船長の言葉だが、これを聞いてハッとした。
私は何のためにここにいる?こんな利権にばかりに固執して、プライドだけが高い連中に埋もれてしまっていいのか。そうした人生を送っていても得られるのはせいぜい今の給料の倍程度の金と、そうした連中との繋がりだけではないか。
これでは、これまで私を頑張って育ててくれた家族、応援してくれている人たち、人生を豊かにしてくれた様々な情景や出来事、今の今まで健康に働いてくれている自分の手や足、こうしたものに対して、無礼の極みではないか?
こう考えた私は、かねてより懐深く暖めていたプランBを実行に移すことにした!
生産性のない会社を辞めて自分で会社を作る。この世界をより良くするための手段、そして本当に良い世界とはいったい何なのか。それを求めるための長い長い旅。
リュック一つ背負って旅に出た高2の夏。あの日見た景色が沸々と蘇る。
そうだ。見えない明日、不確実だけど輝いている明日に向かって歩いていこう!
次回につづく。
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